ゼビウス、XEVIOUS(1983)
なゲームでしたね(ちょっと視点を変えてみました。下手するとボンジャックやSENJYOだな)。これはみんながやり込んだゲームでしょう。当然 1,000 万はいっとかんとまずいみたいな。でも私、
したことあります(^^; パターンとかしっかりしてない時で、まだ1,000万点いってない時でしたけど。
遠藤氏がZ80で自分でもコードを書いたという噂のXEVIOUSですが、XEVIOUSという世界観を現実にプログラムというか、ゲームにしたデザイナーであるのならば、すごいひとだったんだなあとおもいます。デザイナーの理想ですよね。滑らかに動くグラフィック、神秘的なBGM、いわゆる「かくれキャラ」のはしりであるソルやスペシャルフラッグ。ゲーマーでなくても、パックマン並みの知名度がありましたね。細野晴臣もはまってXEVIOUSのレコード出したくらいですから。
どうでもいいんですが、あのレコードの一番最初の曲で、ゲームセンターの喧燥の中でXEVIOUSの音を録音してるんですけど、
と IREM の 10 YARD FIGHT の SE がはいってて笑えましたね。
そういえば、ゼビウスもカセットレコーダで音楽を「生録」したことがあります。テーブル筐体ですから、反対側の丸い通気孔みたいなところにレコーダを当てて、録音してました。すると、いきなり隣でエアホッケーを始めちゃったもんだから、
とうるせーのなんので、後から聞いたら20分くらいエアホッケーの音だけしか聞こえなかったです(笑い)
そう、どっかで聞いた(どこかも忘れた)んですが、ゼビウスってアメリカではあまり受けはよくなかったそうで。なんか理由が
といういかにもおおざっぱなところで判断してしまうところがさすがだなあと思いました。たしかに、ゼビウスって自機も敵機も動作遅いんですよね。ガル・ザカート抜かせば。当時はあっちはベクタースキャンのアタリゲーム全盛時だとおもうしね。ベクタースキャンのゲームってスピード感あるし。
ゼビウスといえば
ですね。当時中金直彦(?)氏とうるせいあんず氏が共同でつくったという16エリア完全攻略本。わたしももってましたが、もうないっす。このほん、ポケモンで今をときめく Game Freak の田尻氏もコミケで委託販売とかしてたんですよね。当時、芸能人とかもこのゼビ本もってたひとがいたそうですよ。
あと、ゼビウスでお約束といえば、デマでしょうな。
今思うと「なにそれ?」て感じですよねー。当時は私も一生懸命さがしてましたよ。
あと、ゼビウスのコピー物は
でしたね。ゼビオスは確か「 NAMCO の DEAD COPY ものですよ」と例のゲーム開始直後に右端でブラスター押しっぱなしででる、デッドコピーチェック確認メッセージがでるのですが、バトルスの場合、
とメッセージまで変えて Dead Copy つくってたのは笑いました。
あと、ナムコ純正のレバーってなんか引っかかりやすくて、斜めにうまく入らなかったり、ひっかかかったままちゃんとうごかなかたり、挙げ句の果てには手が挟まって指の皮が剥げて血にじませながらゲームしてた記憶あります。でも、一番笑えるのが
なゲームセンターがあって、こまりました(笑い)きっとみなさんも一回くらいは経験していると思います。まるでコナミのスクランブルでビル地帯で4方向でやるみたいな悲しさがありました。
結局、このゲーム、如何に早い時間で1000万を達成するかというゲームに最終的にはなって、エリア7だったかなあ(エリア9でした)、最初プラグスパリオが出てきて、4連ソルが出てくるエリア。あそこで残機をつぶして稼ぐんだけど、私はあまりやりませんでした。3時間代で1000万出るんじゃなかったかな。
まあ、あとはゼビウスのモニタへのロゴの焼き付きですかね。ナムコミュージアムはそこまで再現したそうで(笑い)
あ、私はゼビウスのストーリーとかに関しては本を読んでないのでその手の話はかんべんね。
98/7/4 追加
そういえば、当時
をわざわざ作って、ゲームセンターに通ってる人がいました。当時はナムコがそういうTシャツ作ってるのかなーとおもったんだけど、後で知り合ったときに聞いたところ、ただ単に「XEVIOUS」と「1982 NAMCO」というロゴを自分たちで黄色いTシャツにプリンティングしたものだったのでした。でも、その当時私は
という印象で顔を覚えてしまいました。のちのち、彼らは私のゲーム人生に大きな影響を受ける人たちになるとは思いもしませんでしたが。いまだに一人とは腐れ縁の友人なのです。
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